問題設定

 日本型資本主義の現在地を探る前にまず確認したいのは、形成過程の奥に隠された構造変化のありようである。日本型資本主義については、すでに多くの研究成果が蓄積されている。ここでは数回のシリーズを通じて、日本型資本主義の特徴に照準を絞り、あえて従来とは異なる視点を交えて分析を加えてみたい。

分析視角

国際秩序の内生化

 日本型資本主義の歴史的初期条件は特異である。骨格となるメインバンク制や終身雇用制などの制度の成立条件には、日本の敗戦直後、米国が主導した連合国軍占領下で整えられたものが目立つ。このことが日本型資本主義の生成と存続、さらには再編へと向かう過程まで、影響し続ける。本来、外部環境としてのみ扱われるはずの国際秩序が、内生的要因として、制度に作用した。

 本稿では、日本型資本主義が国際社会における日本の地位と連動しながら、国際秩序に埋め込まれる形で成熟してきた過程に焦点を当てる。

冷戦構造と制度形成

占領改革と市場化構想

 日本型資本主義の成立条件を最も強く方向づけたのは米ソ冷戦構造である。

 敗戦後の日本を占領統治したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は①財閥解体②農地解放③労働民主化――の三大経済改革を掲げた。いずれも、市場メカニズムを最優先する経済システムを日本に移植する含意があった。

冷戦による政策転換

 しかし、冷戦の胎動によって、政策遂行は強制終了された。財閥解体は持ち株会社の解体にとどまり、企業グループは生き残った。予定されていた大銀行の解体は手つかずに終わった。この時の中途半端な処理が、のちに系列取引、株式持ち合いが定着する余地を生んだ。メインバンク制が生成される前提条件ともなった。

反共と内生化メカニズム

 一方、労働民主化も組合運動を奨励する方針を一変、イデオロギーを見極めて選別的に容認する姿勢に転じた。当初の民主化方針が中止された経緯からは、冷戦構造という外部環境が内生的要因として組み込まれていくメカニズムがみてとれる。

 冷戦とは単なる軍事対立ではない。保守陣営にとっては、国内の政治秩序を安定させ、共産主義勢力の台頭を抑える体制闘争そのものであった。いたるところ、あらゆる場面が闘争の現場だった。例えば、労働組合内部の主導権争いにも、冷戦構造は投影されていた。

 敗戦直後の、国力が乏しく主権の限定された日本に、親ソ連政権が成立する可能性があったというのだろうか。少なくとも米国、それに日本の保守政治家は恐れた。そして、「反共(反共産主義)」が、外部環境としての冷戦構造を内生的要因に転化する合言葉になった。

国際秩序における日本の位置づけ

再定義された国家像

 GHQは日本の民主化計画を中断した。ただし、米国は日本という国家の再設計を放棄したわけではなかった。冷戦の勃発で日本の再定義を余儀なくされたものの、日本国憲法に込めた、「米国からみた日本のあるべき姿」は変わっていない。

 1950年1月、米国のアチソン国務長官が、日本について①日本を再軍備させない②経済的には復興させる③安全保障の最終責任は米国が負う④日本は「西側陣営の生産センター―」として組み込む――と表現した。米国による日本の位置づけの空気感が伝わる。

不完全主権の機能国家

 日本は1952年に、サンフランシスコ条約によって主権を回復したのちも、安全保障を米国に依存し、自主防衛力を整備する負担を免れた。一方で、冷戦構造下で西側陣営の生産力を支える役割を担った。「不完全主権の機能国家」として国際社会に復帰したといえる。

自由貿易体制と産業再編

市場開放の圧力

 日本型資本主義の発展に大きな影響を与えた外部環境が自由貿易体制である。

 日本は1955年、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟するが、すぐに最恵国待遇を受けられたわけではない。輸入規制撤廃を厳しく要求されたのに対応、1960年には「貿易為替自由化計画」を策定し、市場開放の加速を余儀なくされる。

調整メカニズムの形成

 市場開放は産業構造の変革を迫った。価格と品質の両面で、国際競争力を問われたからだ。石炭産業が構造不況に陥ったのをはじめ、化学工業などで過剰設備の整理などが進められた。この過程で機能したのがメインバンク制と行政指導である。官僚機構が「フォーカル・ポイント」を示し、金融機能が連携して業界各社を誘導することで、業界全体で無駄を最小に抑えた出口戦略を共有する――。そんなフォーマットができあがった。

 国際市場の動向についての情報収集能力には、当時は、官僚機構に一日の長があった。不況カルテルなど痛みを伴う構造改革を迫られた際、情報の非対称性が重い意味を持ち、行政指導の説得力を下支えした。

 1965年には乗用車の輸入が自由化される。自動車産業の壊滅を恐れた通商産業省は取引銀行を巻き込んで再編を主導、翌66年に日産自動車とプリンス自動車工業の合併を成立させた。これもフォーマットに則った動きである。

制度的補完性の形成

金融・産業・労働の結合

 西側陣営の生産センターという機能と自由貿易体制の一員という立場は表裏一体である。日本は機能国家であり続けるために、産業構造の改変を受け入れた。国際競争力が産業・企業の存続条件となり、規模の優位や品質の独自性を持てない者は斃れるしかなくなった。

外部環境との接続

 この状況は資本と労働の集約が進む方向へと力が働くことを示す。銀行によって安定的・長期的に資金を供給されることが競争力の裏付けとなり、労働力の安定的確保が規模の利を保証する。自由貿易体制という外部環境が、メインバンク制と終身雇用制の補完性を強化する条件となっている。

結論

 冷戦構造と自由貿易体制は日本社会を揺るがす外寇であったと同時に、日本型資本主義という安定装置を育てるゆりかごでもあった。