戦後、日本の発展の原動力となったのが銀行、企業、官僚機構からなる「黄金のトライアングル」だ。この強固な相互依存関係の原点には、心的外傷を及ぼすほどの恐怖体験がある。トラウマが制度を生み、補強してきた。
金融行政を長く縛ってきたトラウマに1927年の昭和金融恐慌がある。売上高が当時の国内総生産の1割相当(15億円前後)まで成長した総合商社、鈴木商店が破綻。メインバンクの台湾銀行が一時休業に追い込まれ、中小銀行に取り付け騒ぎが波及した。
日本銀行の紙幣の在庫が底を尽き、慌てて片面のみ印刷した紙幣を流通させたという。激震に揺れた金融システムを正常化するまでの2カ月半、金融当局は凄絶な戦いを強いられた。
このできごとは金融当局という組織に深い傷痕を残した。なぜか。
確かに金融システムの未熟さを露呈した。その意味では金融史上の大事件である。だが一方で、鈴木商店という巨大商社が倒れたにもかかわらず、経営破綻は産業界に広く連鎖しなかった。金融当局と一般預金者を結ぶコミュニケーションの欠陥が騒乱を引き起こした、いわば社会的事件とみることもできる。
総括の対象を純粋に金融システムの修正・進化に絞り込めなかったことが、事態を客体化できず、体験した恐怖心を増幅した原因ではないだろうか。
制度・政策の多くは過去の反省と教訓を礎にしている。教訓になるかトラウマになるかの違いは遭遇したできごとを客体化して整理できるかどうかにかかっている。
戦後、金融当局は銀行を徹底して管理下に置く。金利上限を法定し、出店を認可制にして銀行間の競争を封じた。徹頭徹尾、横並びを求める代わりに落ちこぼれを生まない、護送船団方式を確立した。不良債権を監視、破綻が懸念される取引先の出口処理にも介入した。メインバンク制を基盤として、フェール・セーフの網を何重にも敷いた。
すべて「金融システムを守る」という大義のためだった。そして、守るべきものとは具体的に何か、1997~98年の金融危機の際にも答えが見えた。山一證券、北海道拓殖銀行など、銀行・証券会社の破綻情報が流れるたび、大蔵省と日銀の緊張感は高まった。当座の優先課題は「窓口に客が殺到する群衆パニックだけは起こさせない」ことだった。
ところで、1990年代の金融危機の源流はバブル期にある。土地を担保にノンバンク経由で貸し出した資金がバブル崩壊で一気に不良債権化、処理できなくなった。昭和金融恐慌のトラウマから、制度と安全装置で銀行をがんじがらめに縛りつけた金融当局が、なぜ怪しげな不動産開発への資金供給をやすやすと黙認したのだろうか。
要因はいくつかある。
まず、急速な円高進行への対策で通貨供給量が急増していたところへ、金融自由化の風が吹き込み、企業の資金調達ルートが多様化した背景がある。ドッジ・ライン以来、銀行が守ってきた、産業界の資金供給源という主役の座が脅かされた。そこに芽生えた焦りと恐れが、不動産・開発関連という新規融資先に目を向けさせた。
そのうえ、担保主義への盲信があった。とりわけ、地価は下がらない、という神話に当局も銀行もとらわれた。しかも、ノンバンクを経由した融資は銀行の決算書からは見えにくく、事態は潜行して深刻化した。(以上、※A)
当局には、何重にも用意した安全装置が働くはず、という安心感があった。長年の護送船団方式のもとで銀行の行動様式も横にらみが慣習化しており、ノンバンク経由の不確実な融資も横並びで敢行した。制度と安全装置と慣行への過信がモラルハザードにつながり、個別案件を審査するという基本動作を蔑ろにさせた。(同、※B)
本来であれば、銀行経営にも投資家や株主といった第三者的ステークホルダーの目が光ってしかるべきだ。だが、監督・指導の大義のもと、官僚機構が銀行のガバナンスを肩代わりしていた。そのため、当局と銀行という、当事者だけの閉じた情報系の中で、すべてが処理されていた。(同、※C)
これらの要因から、3つの仮説を導き出すことができる。
まず「※A」からいえるのは
「トラウマを起点とする制度設計は、原因の管理よりも結果の回避に重点を置きがちである」
ということだ。「窓口での取り付け騒ぎ=社会不安」は結果にすぎない。目標とすべきは破綻危機を招くような銀行の行動を規制することだった。自己資本比率の基準などがBIS規制といった外圧をまたなければならなかったのは皮肉なことだ。
「※B」から、
「制度と周辺装置を重層的に構築すると、認知の死角が生まれる」
という仮説を提示する。社会不安を巻き起こさないための安全装置を張り巡らせた当局と銀行は運命共同体であった。かなりの情報を共有し、「お咎めがないのはOKのしるし」と考えるくらいに共依存していたのではないだろうか。その信頼のはざまに死角が生まれた。
この関係性の特徴は、※Cにも通じる。ここで考えたいのが
「記憶の共有範囲を限定した規制は十分に機能しない」
という仮説である。閉じた情報系では限られた当事者しか記憶を共有できない。しかし、過去の事例から得た教訓を制度や周辺装置に生かしたいなら、情報を開放し、記憶を広く共有したほうが効率がいい。
興味深い比較がある。日本では金融危機には当局が技術的に処理し、制度を強化することで吸収されてきた。一方、米国では政治問題として語られ、危機の記憶そのものが規制の正当性を支え続けているという。民主主義が制度の成立・存続条件に投影されている。
今回、昭和金融恐慌のトラウマに話題を絞って展開した。しかし、日本型資本主義の構成要素にはトラウマに起因する制度や周辺装置、外部条件がいくつもある。折をみて焦点を当ててみたい。また、トラウマが組織で承継されるメカニズムについても、解き明かしたい。